イ・クトゥット・スアンダ (コメディアン、チュディル) I Ketut Suanda (Cedil)
イ・クトゥット・スアンダ は、ガムラン・チュンダナ・グループの指導者であり、音楽家 そして 舞踊家として活躍しています。
さらに、バリ島で唯一無二のコメディアンである「チュディル」としての顔も持つ、バリのアーティストです。
ギャニャール県バトゥブラン村のバトゥール地区という、バリ芸能活動がさかんな村に生まれ育った事も影響し、幼少の時代からスアンダの生活はバリ芸能に親しんだものとなっていました。
まだ五歳の頃・・・既にスアンダは、その才能を発揮し始めていました。
センドラタリ舞踊劇や、ラーマヤナ舞踊劇というバリ島の芸能の作品の中から、いくつかの小節を演奏してみせては、周囲の大人たちを驚かせ、ちびっ子バリ芸能家としての名を馳せていました。
演奏のみに限らず、センドラタリ舞踊劇の踊り手としても、庶民のキャラクターを堂々と演じてみせるなど、幼少の頃から、芸に身を置くことに喜びを見出してきました。
青年時代は、スアンダにとって有意義な経験を数多く得ることが出来た時期でした。
中学を卒業後に、彼は公立の芸術高等学校SMKI(現在のスカワティ第三高校)へと進みましたが、高校時代の彼は、学業だけでなく、バリ芸能に関する授業に対しても懸命に励み、舞踊や音楽といった芸能の場での活躍をみせました。
友人たちの目には、スアンダはオールマイティなアーティストとして映っていました。古典のバリ舞踊や、バリ音楽の演奏で抜きん出ている以外にも、西洋音楽のバンドを組んだり、ブレイク・ダンスやパントマイムといった、新しいジャンルの舞踊芸術を意欲的に学んだりしていました。
高校卒業後、スアンダは芸術大学(当時のASTI、現在のISI)の音楽学科への進路を選び、より深くバリ芸能探求への道を継続します。
音楽のみならず、舞踊への情熱と持続をも忘れることのなかったスアンダの努力は常に実を結び続けていました。
比較的若い年齢の頃から、いくつかのコンテストで入賞に輝き、芸術祭での表彰なども受けていました。
なかでも1990年のバリ島芸術祭では、仮面舞踊のジャウック・マニス部門で第2位を獲得し、バリ州知事に表彰されました。同じ年には、インドネシア共和国の首都ジャカルタにある大統領官邸内で行われた、インドネシア国内のアート・フェスティバルにおいて、友人たちとともに「バリス・グデ舞踊」を披露し、優勝を獲得しました。
1990年 バリス・グデ舞踊を踊った友人達とともに(スアンダは右から3番目)
大学時代には、音楽の道を専攻したものの、舞踊に対するスアンダの情熱も、幼少時から変わることはありませんでした。
その後も、毎年行われるバリ島芸術祭において、ギャニャール県の代表の演奏家として、また ときには舞踊家としての参加も果たし、ギャニャール県の活躍を手伝っていきます。
また、国内のみでなく、海外への遠征も幾度となく果たしており、インターナショナルなアーティストとしての評価も外せません。
芸術大学STSI(現在のISI)の学生時代には、芸術大学の選抜メンバーとして、1994年と、1996年にヨーロッパでの公演を、また、1997年には日本での公演をも成功させる一翼を担いました。
同じく1997年には、ギャニャール県政府と共に、インドにおける公演も行っています。
バリ舞踊界と音楽界において、これほどの活躍をしているスアンダですが、近年はコメディアンとして「チュディル」という芸名を用い、バリ島内で有名人としての座を獲得しています。
ユニークな外見と、独特の話法を生みだしたことで、バリ島の庶民の心を捉えたコメディアン「チュディル」。
この「チュディル」のキャラクターが生まれたのはバドゥン県のジャガパティ地区で1998年に行われたHPI(インドネシア・ガイド協会)によるドラマ・ゴン歌謡劇の公演でのことでした。
それから数年の間、スアンダの芸能活動はほぼ、この「チュディル」としての活動に終始し続けています。
数えきれないほどの大舞台から、田舎での小さな寺院での奉納まで、それこそバリ島の隅から隅まで呼ばれ、喜劇の舞台を沸かせるコメディアンとして、「チュディル」は、欠かせないキャラクターとなっていきました。
TVの出演はもちろん、DVDシリーズも作成され、バリ島のコメディ界には無くてはならない存在と評価されています。
バリ島内のみでなく、海外においても「チュディル」は外国人アーティストとの競演を果たしています。
2005年にはフランスで、チャロナラン舞踊劇を公演。
2009年にも日本のアーティスト・グループから招聘を受けて、公演へ参加しました。
この時は、コメディアンとしての参加のみならず、学者や芸術家を前に、バリ芸能のワークショップなども行いました。
この際、日本のアーティスト達の間では、伝統芸能と現代向けの芸風とが上手く絡み合った「チュディル」が高い指示をうけました。
スアンダ自身に内在するバリ古典芸能や伝統を重んじる気質と、クローバル志向の「チュディル」とが調和し、一人のアーティストとして、世界の舞台で新たな評価を受けたことを意味しています。
2014年3月には、インドネシアの有名なメトロTV社のトーク・ショー番組「キック・アンディ(司会アンディ・F・ノヤ)」に「Seniman Daerah Yang Mendunia(グローバル・ローカル・アーティスト)」として出演しました。
» キック・アンディ出演時の映像(イ・クトゥット・スアンダ ~チュディル).
2015年6月には ハードロックカフェで、バラワンとフューチャリング
コメディアン「チュディル」としての多忙な毎日を送るスアンダではありますが、積極的にバリ古典芸能の探求にも身を置き、1992年には、リーダーとして、ガムラン・チュンダナ・グループをたち上げました。
ここ最近は、作曲活動にも熱を入れ、一人の音楽家・作曲家として、幾つかの器楽曲や舞踊曲を披露しています。
「プトリ・ハナ舞踊」「プシュパ・ブアナ舞踊」「バスンダリ舞踊」といったオリジナルの創作舞踊の他、自らのキャラクターを舞踊で表現した斬新な「チュディル舞踊」などの舞踊曲を作っています。また、ブバロンガン「ウリンガン」を始めとする器楽曲の新作もいくつか完成させています。(なお、これらの作品は、全てガムラン・チュンダナ・グループと共に、バリ島芸術祭の場に置いて、披露されました。)
今後の活躍が、ますます期待されるアーティスト「イ・クトゥット・スアンダ(チュディル)」の名に恥じないよう、現在も、日々、芸能活動に勤しんでおります。